はじめに:ビルを出ろ。AIで言語の壁を越え、シリコンバレーへ挑む
「いつか、スティーブ・ブランク氏に直接話を聞いてみたい。」
起業家育成プログラム「LLP長岡」に参加し、講師である堤孝志先生の教えを受け、インタビューまでさせていただいた私にとって、それはごく自然に湧き上がってきた思いでした。
しかし同時に、それは「馬鹿げた話」でもありました。
スティーブ・ブランク氏は、21年間にわたり8つのスタートアップを立ち上げ、「Customer Development(顧客開発)」モデルを提唱し、起業家教育プログラム「Lean LaunchPad」を生み出し、現在の起業家教育に大きな影響を与えてきた人物です。
起業の世界に馴染みのない方には少しイメージしづらいかもしれません。
私自身の感覚であえて他分野に例えるなら、野球界のベーブ・ルース、看護の世界のナイチンゲールのような存在です。
一方の私は、新潟県の中越地域で地方メディアを運営し、自身の事業も立ち上げて1年未満の小規模な事業者です。
さらに「英語」という大きな言語の壁もありました。
普通に考えれば、直接話を聞ける機会など期待できません。
しかし、彼が提唱した有名な言葉が私の背中を押しました。
「Get out of the building.(ビルを出て、顧客の声を聞け)」
私はこの言葉を、「とにかくアジャイルに(俊敏に)行動しろ」というメッセージとして受け取りました。
そこで、最新の生成AIを壁打ち相手にして英語のメールを作成し、直接メッセージを送ってみたのです。
すると数日後、彼本人から返信がありました。
その後、数回のメールやり取りを経て、オンラインでの対談が実現したのです。
起業家コミュニティで語られる、自分が受けた恩恵を次の人へと渡していく「ペイ・フォワード(恩送り)」という考え方があります。
思えば、地方の小さな事業者である私の唐突な連絡に対し、彼が貴重な時間を割いて対談に応じてくれたこと自体が、私にとって大きな学びであり、機会の提供でした。
だからこそ、今回得られた知見を私一人のものにするのではなく、地域の事業者の皆さんへ還元したいと考えています。
本記事は、2026年9月29日に行われた約30分間の対談をもとに、地方の小さなビジネスに「顧客開発」をどう応用できるのかをまとめた記録です。
プレリュード:焦りと安堵の「5分間」
本題に入る前に、対談の直前に起きた出来事について触れておきます。
対談の冒頭、私は「Google Meetのリアルタイム翻訳字幕を使わせてほしい」と打診しました。しかし、私の拙い英語では操作手順をスムーズに説明できず、設定に5分ほどかかってしまったのです。
「説明するための英語をもっと準備しておくべきだった……」と、内心かなり焦っていました。
私はこれまで介護士として働き、地域でも自分よりご高齢の方を含め、様々な年代の方と関わってきました。
また、年齢に関わらず、不慣れなツールに戸惑ったり、スムーズに進まない状況にストレスを感じたりすることは珍しくありません。
ましてや相手は、世界中から連絡を受ける多忙な方です。
しかしスティーブ氏は、使ったことのないシステムに対しても嫌な顔ひとつせず、私と一緒に画面の操作を確認しながら、落ち着いて設定を行ってくれました。
未知のツールを面白がり、柔軟に付き合ってくれたその姿勢がとても印象的でした。
無事に字幕が動き出し、安堵とともに私たちの対話が始まりました。

成功する起業家は「計画」より「顧客の声」を聞く
前日に必死に練習した英語での挨拶を終えた後(笑)
早速Google Meetの翻訳字幕を使ってスティーブへのインタビューを開始します。
ケイ: 本日はありがとうございます。Customer Development(顧客開発)については著書からも学べますが、今回はスティーブさんご自身の経験をもとに伺いたいです。この考え方を生み出した当時、既存の事業開発のどのような点に課題を感じていたのでしょうか?
スティーブ・ブランク氏(以下、スティーブ): 私は21年間で8つのスタートアップを立ち上げました。引退後、様々な企業の取締役を務める中で気づいたことがあります。
それは、「成功した企業は事業計画を無視し、実際に顧客が何を求めているのかに注意を払っていた」ということです。これは当時の投資家が言っていたこととは真逆でした。投資家は「計画を実行しろ」と言いますが、成功する創業者たちは計画そのものを現場の顧客の声に合わせて見直していたのです。
ケイ: そこから現在までビジネス環境は変化しましたが、今の視点から見てCustomer Developmentの中で「絶対に変わらない本質」とは何でしょうか?
スティーブ: 最も重要なのは、すべてのステークホルダー(利害関係者)を理解することです。ユーザー、推奨者、意思決定者、要件作成者などがどこにいて、彼らが互いにどう繋がっているのか、その構造を理解し続けることです。
小さな地域の商売で「仮説」を検証する方法
次に私は、「Customer Development」や「Lean LaunchPad」の考え方を、私の住む新潟県など地方で小さな事業を行う際に活用できるかを彼に問いました。
ケイ: 私は今、新潟県の中越地域で小規模な事業者さんの伴走支援をしています。地方は人口も少なく、検証に使える資金も限られています。Lean LaunchPadの考え方は、こうした地域の小さな事業にも有効でしょうか?
スティーブ: もちろんです。顧客を理解するという基本は、小さなレストランを開業するような人にも使えます。
たとえば、自宅で小さなレストランを始めるなら、まず近所の人々が普段どこで食事をしているのか、何に不満を感じているのかを聞くことができます。ニーズがありそうだと分かったら、試食(サンプル)を配って反応を見ることもできます。「どこに開業するか」「自宅でできるか」「人々がすでに集まる場所はどこか」を考えるのです。
このように地域であっても、小さな実験を何度も繰り返すことで、ゼロからビジネスを作ったり、既存の事業を拡大したりすることができます。
ケイ: 小さく検証することは、顧客との距離が近い地域ビジネスと非常に相性が良いと感じます。
スティーブ: その通りです。そして、伴走者(コーチ)の仕事は、事業者が持つ「思い込み」を一緒にテストすることです。
たとえば事業者が「親戚が場所を貸してくれるから、ここは良い立地になる」と言ったとします。私はこう問います。「その場所に本当に人が来ると、どうやって確かめますか?」と。実際にその場所に立って、人通りや車の流れを確認する。そのアイデアをテスト(検証)することが重要なのです。
「100人に聞く」ことの真意と、地域でのヒアリング
そして私は、地域でのビジネスにおける「1つの課題」についてさらに深掘りをしてみました。
ケイ: 地方では人口が少なく、多くの人にヒアリングするのが難しい場合があります。私は少ない人数でもディープ・ヒアリング(深く聞くこと)ができれば効果的だと考えていますが、Customer Developmentの視点ではどう捉えますか?
スティーブ: 小さな地域で広告だけを出していると、外に出て人々と直接話すことで作れるはずの「関係性」を見落としてしまいます。
私は学生たちに、「10週間で100人に話を聞く」という課題を出しています。外に出て話すこと自体が、自分たちが計画している事業の存在を地域の人に知ってもらうきっかけにもなるからです。
日本の地域事業にさらに最適化した意見を聞くために、私はさらに質問を重ねます。
ケイ: 私の住んでいる市は人口約2万5,000人です。このような地域では、どの程度の人にインタビューをすれば判断の目安になりますか?
スティーブ: 100人という数字も出しましたが、重要なのは人数の多さそのものよりも、「同じような答えが返ってき始めているかどうか」を見極めることです。
質問の角度を3〜4通りに変えて聞いてみる。それでも「人々はこれに関心を持っているようだ」と答えが同じパターンに収束してきたら、次の実験(検証)に進むタイミングです。
独自の「RISER構造理論」を提示して見えた、伴走者の役割
ここで、私は自身が事業者に伴走する際の基本としている「RISER構造理論」というものについてスティーブに意見を求めました。
ケイ: 私は現在、自ら考案した「RISER(Reach, Inflow, Signal, Engagement, Retention)」という5段階の構造理論を中心に事業者を支援しています。Customer DevelopmentとこのRISER理論には、共通する部分があるでしょうか?

RISER理論はCustomer Developmentのファネルと多くの共通点があり、特に「関係を築く」という点で発展させたものだという評価でした。
さらに、「15年後の改良版とも言えるのではないか」という趣旨のコメントもありました。
※インタビュー時の文字起こしの一部が大きく崩れたため、彼の発言の直接引用とはしていません。
そして、より使いやすい理論として事業者に提供できるよう、この理論の弱点についても伺いました。
ケイ: 逆に、この理論の弱点や、注意すべき部分はどこだと思われますか?
スティーブ: 理論そのものに弱点はありません。しかし、それを使う人々のことが欠けています。理論そのものと同じくらい「実際の人やプロセス、そして人間がそれをどう使うか」という部分が重要になります。だからこそ、インストラクターやコーチ(伴走者)には常に役割があるのです(That’s why an instructor will always have a job or a coach.)。
ケイ: 理論やフレームワークだけでなく、実際に人がどう使うかという部分が問題になってくるということでしょうか?
スティーブ: そうです。また、RISERのようなフレームワークは顧客との関係性を整理する上で役立ちますが、事業を成立させるには「資金」「人材」「設備」といったリソースをどう確保するかという視点も欠かせません。小規模事業では、顧客獲得と同じくらい、資金繰りや人員の確保が現実的な課題になるからです。
スティーブ氏の「人間がどう使うかが重要」という言葉は、私に強い気づきを与えてくれました。
私の役割は、単に「便利な理論やフレームワークを教えること」ではありません。
それを使って現場でどう顧客と向き合い、どう検証を進めるかという「扱い方」を現場で共に実践することなのだと、改めて認識させられました。
おわりに:AIが壁を下げ、最後は人間が動く
対談の終盤、AIによって起業家教育やイノベーションがどう変わるのかを尋ねました。
彼は、まさに翌朝(カリフォルニア時間)、学生向けの新しいシラバスを公開する予定だと話してくれました。
常に自身の教育手法をアップデートし続ける姿勢に驚かされました。
そして最後に、私は彼にこう尋ねました。
ケイ: 突然の連絡だった私と、こうして対話の時間を作っていただいた理由は何だったのでしょうか?
スティーブ: とてもよく考えられたメールでした。あなたが何をしているのか興味を持ったのです。どうすればより良く取り組めるかを考えている人に、私はいつも関心があります。 そして、メールでのAIの使い方は完璧でした(Your use of AI in the email was perfect.)。
ケイ: AIと対話しながら文章を推敲したんです。AIを使えば言語の壁も越えられると思い、挑戦しました。
そして最後に、彼はこう言葉をかけてくれました。
スティーブ: よくやりましたね。あなたが次に何をするのか、楽しみにしています(You did a good job. I can’t wait to see what you do next.)。
今回の対談を通じて感じたのは、シリコンバレーの先進的な考え方も、地方の小さな商売も、根底にある本質は変わらないということです。
大企業でも個人店であっても、「現場に出て顧客の声を聞き、小さく実験を繰り返す」というプロセスの重要性は共通しています。
生成AIをはじめとするテクノロジーは、海外の著者に連絡を取ったり、言語の壁を下げたりするための強力なツールになります。
しかし、AIがどれほど進化しても、実際に地域に出て、顧客の表情を見ながら対話し、試行錯誤を行うのは人間自身です。
「次は何をするのか、楽しみにしている」というスティーブ氏の言葉を胸に、私はこれからも中越地域の事業者さんたちと共に、現場での泥臭い「仮説検証」と「顧客開発」を実践していきます。
対談者プロフィール
スティーブ・ブランク(Steve Blank)
シリコンバレーの連続起業家、教育者。21年間で8つのスタートアップの立ち上げに参画。
スタートアップが成功するための方法論「顧客開発モデル(Customer Development)」を提唱し、その後の「リーン・スタートアップ」ムーブメントの基盤を作った。
スタンフォード大学、コロンビア大学などで教鞭を執り、彼が開発した起業家教育プログラム「Lean LaunchPad(リーン・ローンチパッド)」は世界中の大学や機関で採用されている。
公式サイト:https://steveblank.com/
ケイ(KIKUYA Project 代表 / 中越ライフ運営)
新潟県中越地域を中心に活動する事業伴走者。介護士として現場で培った「相手を観察し、一人ひとりに合わせた支援を組み立てる」考え方をビジネスに応用し、地域事業者の情報発信や事業づくりを支援。
独自の「RISER構造理論」を用いたWeb・SNS導線設計を行う傍ら、地域メディア「中越ライフ」の運営も手がける。起業家育成プログラム「LLP長岡」での学びを機に、地方の小規模事業における「顧客開発」の実践と探求を泥臭く続けている。


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